ぽぶろぐ

主に旅行の記録 たまにメイクや家電も

北海道胆振東部地震備忘録

今週のお題「わが家の防災対策」

 こんばんは。あやぽです。電気がある、インターネットが使えるって本当に素晴らしい。今回は友達の腕毛をSNOWでキラキラ加工したいとか言いながら眠りについた夜以降の話です。完全に自分のための備忘録。まだ完全に落ち着いているわけではないけれど、備忘録は書こう書こうと思いながら日々を過ごしているとすっかりあれこれ忘れてしまうので、忘れないうちに書きます。

 ちなみに、復旧するまでは、停電で電気が使えない、オール電化だから何もできない。水は使えるのでとりあえずトイレは大丈夫、って状況でした。

地震発生〜電気復旧まで

9月6日(木)午前3時8分 地震で起きる

 地震で起きました。緊急地震速報鳴って起きた人が多かったけれど、私の携帯は鳴りませんでした。目が覚めて、これってどう考えても地震だよな…?揺れてる…?というか私の住む地域でこれだけ揺れているなら他の地域はもっと揺れているはずでは…?まさか震源って…?親が大地震くる可能性の高い地域に住んでいるのでゾッとしました。揺れがありつつ親に電話、それとともにTwitter(これだからツイ廃は)を開く。親の無事を確認、ツイートから胆振震源であることも確認。親との電話とみんなのツイートで自宅の停電に気付く。ちなみに我が家は震度4だったのもあり、何も倒れたり割れたりはしていないと揺れている時の音で判断した。(後で確認したけど何一つ問題なかった。)

 親の次は恋人に電話する。無事。割れたものもないらしい。電話と並行して、ガラケーの親に代わって実家付近の震度と津波情報を集める。(うちは内陸なので心配なし。)震源近いから心配していたけれど震度4だった。あと、最初の速報では津波の可能性もありだったので震えてしまった。すぐに津波は心配ないことが判明したので親に連絡。あのときNHKのテレビの画像貼ってくれた方ありがとうございました。確かな情報だってわかりやすくてありがたかったです。

 恋人と電話していたら妹から着信。そうだ妹のことすっかり忘れていた。最近全然連絡取っていなかったけどこういうときにすぐ連絡してくるのかわいいなって思いました。ほんと忘れててごめん。震度5弱の地域に住んでいたし、マンションの割と高めの階に住んでいたので家族等の中では一番被害が酷かった。皿は割れ、冷蔵庫が倒れ、冷蔵庫の上に置いていたレンジも倒れて壁に穴が開いたらしい。どうして家族等の中で一番処理能力が低そうな女が一番被害酷い地域にあたってしまうのか。ちなみに恋人と私の妹の家は割と近くて、車で10分くらい、地下鉄2〜3駅分しかないんだけれど、被害が全然違うものなのね。

 一通り連絡を取ったあとはTwitterに張り付いていました。これだからツイ廃は。でも本当にみんなとつながっていることって支えになった。安心した。

9月6日(木)〜午前7時 色々行動する

午前3時30分 お風呂に水を貯める。大げさかなって迷っていたけれど、他の人がしていたツイートを見て、やっぱりやろうと思った。

午前4時 東日本大震災で給湯器やられた人のツイートを見て、ブレーカーを落とすべきだと知る。すぐに落として家電のコンセントも抜く。旭川市防災のツイートで、停電復旧の見込みがないことを知る。

午前4時30分 食料を買いに行くべきか仮眠すべきかベッドの中で迷った挙句、食料を買いに行く。信号の点いていない街を見ながらこれからどうなっちゃうんだろうって思った。幸いなことに近所のローソンは停電の中店を開いてくれていて、水とおにぎりとパンを買った。後から振り返ってもここで食料を買いに行った自分を褒めたい。しいて言えば自転車で5分くらいのセブンイレブンにも行けば良かったとは思うけれど。

 この後は6時くらいまでツイッターを見ながら情報収集していました。普段はモバイルバッテリーを木曜日頃(金曜夜に札幌行くから)にフル充電する私ですが、恋人が常日頃からモバイルバッテリーは満タンにしておくべきだとうるさかったので、そうだよな…何かあった時に使うんだもんな…と日曜帰宅後すぐに充電していたため、今回はフル充電でした。ちなみにダンボーの10400mAhです。iPhone5回分。(経年劣化は多少あると思うけれど)ダンボーといえば、ダンボーの電池式のルームライト持ってたのに、その後ろにある懐中電灯のことばっかり考えていた。人のツイート見てあれ私も持ってるやんってなった。やっぱり冷静さを欠くタイプなんだな私。

 仮眠したかったけれど、色々考えていたら全然眠れなかった。頭ギンギンしてた。それとともに、今日は出勤するべきなんだろうか…やっぱり出勤しなきゃいけないんだろうか…出勤時間前にあれこれ対応しなきゃいけないことがあるのは明白で、でも私がこれ一人であれこれ調整するんだろうか…とか考えながら緊急連絡網いつ来るかなって思ってた。結局来なかったよオイどうなってるの。

9月6日(木)7時 職場出勤

 誰もどうにもしてくれなさそうだしタイムリミットは迫っていたので出勤。職場が近いってこういうとき良いのか悪いのか。他の人も何人か出勤していたおかげでスムーズに業務対応完了。その後はトイレ使用禁止の貼り紙したり電話対応したり。

9月6日(木)9時 物資調達に並ぶ

 9時以降自宅待機も可と言われたので、とりあえず近所のスーパーに行ってみることにした。行くとそこには食料購入のための長蛇の列。テレビで見たことあるよこれ。「被災」したんだなって強く感じた。ショッキングだった。とりあえず仕方なく列に並ぶ。1時間ほどして水とカロリーメイトを購入する。こういう時っていざとなると何を買うのがベストなのか全然わからなかった。あと、現金が2,000円しかなくてやばい!と思った。(その後家にある封筒から3,000円見付かる。)

9月6日(木)昼頃 電波が入らなくなる

 真の恐怖はここからだった。基地局あれこれと言われていたが、思ったより早く電波が入らなくなった。これまでの比じゃないくらい心細いし、家にラジオないから情報も入ってこない。家と職場を往復し、職場のラジオで定期的に情報を入手していました。不安と孤独でいっぱいになる。家では何をしたらいいかわからなくなって、おもむろに部屋掃除を始めたりしていました(笑)

9月6日(木)夕方 電気復旧エリアに行く

 上司から、駅前は電気復旧して飲食店もやっているらしいと情報が入ったので試しに行ってみた。数時間ぶりに電波が入る!セコマやってる!まだ食料ある!そして駅前本当に飲食店やっているだと…ラーメンか迷った挙句前から気になっていたお店でそばを食べる。ごぼう天おいしかった。両隣のテーブルは楽しく酒盛りしていてここは本当に被災地なのか…?ってなった。自分が住んでいるエリアとのギャップがありすぎた。帰ってきた後は家も暗いしおなかいっぱいだしやることないし起きているのも怖いのでとりあえず寝ました。

9月6日(木)夜 孤独な夜を過ごす

 寝たけどすぐ起きてしまう。電気復旧エリアまで行けば電波つながると思った(よくわからないけれど電気の復旧と電波の復旧同じような感じだった)ので自転車で電気復旧エリアまで行こうとしたら、家のすぐ近くで電気が復旧していた。家から3分も行かないところで電波が拾えて、ぼんやりTwitterを見ていた。恋人は仕事に行っているし、親はガラケーでモバイルバッテリーのようなものも一切持っていないから必要最低限の連絡しか取れないし、本当孤独だった。同時に、ここまで復旧しているんだから後もう少しで家も電気復旧するはずだ…と思いながらもなかなか明かりが点かないことにもやもやしました。仕方ないんだけど。窓から見えるすぐ近くの家に明かりが点いているのに、どうしてうちはまだなんだろうって焦った。札幌もどんどん復旧しているみたいだし、私の住む街も駅前は復旧しているし、早く早くってずっと思ってた。

9月7日(金)午前2時 目が覚める

 早い時間から寝ていたから目が覚めてしまった。ここまで寝て起きてを何度か繰り返したんだけど、電気が復旧する夢と、気がついたら家族と一緒にいる夢を数回見て、本当に不安を感じているんだと思ったし、正夢であって欲しかった。残念ながらまだ電気は入らなかったけれどなぜか家でも電波が入る…!みんな寝てる時間だからなのか?嬉しくていっぱいTwitterしてました。だってTLくらいしか起きている人いないんだもん。4時前にまた電波が不安定になってきたので諦めて寝る(大して眠れなかったけど)。

9月7日(金)午前7時28分 電気復旧

 結局朝方からベッドでうだうだして、6時半前に起床、まだ電気入らなかった…とがっかりしながら出勤準備をしていた。出勤直前、化粧を終えた頃、後ろからブォンと音が聞こえる。これは…?と外に出てアパートのオートロックを確認、動いてる!!!すぐに家のブレーカーを上げる!電気点く!!!もうこんなにうれしいことなかった。涙ほろり。インターネットも同時に復旧を確認。Wi-Fiつながる〜!!!出勤前にダッシュでシャワー浴びようと全裸になったところで、湯沸かししてないから浴びられないと気づく。(温水器にお湯残ってたから多分浴びることできたんだけどそれは後の話)

★電気復旧後

 なんと金曜日は普通に仕事だった。つらい。それでもいつもよりは緩い勤務だったけど。グループウェア午後から復旧するまで何をしろとって状態だった。休みにしてほしかった(笑)

 私の街は復旧が早かった(私の住むエリアの停電復旧は半分よりやや遅い方だったと思う)ので、7日から営業しているお店が多かった。疲れ果てて近所のお弁当屋さんでお弁当買って帰ったんだけど本当においしかったし、揚げ物に感動した。

 家族・恋人ともに電気復旧がまだだったので親とは相変わらず必要最低限以外の連絡は取れない。恋人には空いているスーパーとかATMとか、とにかく色々調べて連絡していた。恋人は夕方、実家は夜に復旧して、とりあえず一区切り。実家はガラケーで情報も入らなくて…と思っていたけれど祖父の形見のラジオがあって、食料は大きなクーラーボックスに入れていたら停電から40時間後でもキンキンに冷たく、ガスが使えるから料理もできて…ってことが判明して先に言ってよ!安心したらなぜかお腹を壊した。

 土曜日の昼過ぎに恋人が片道2時間半かけて車でこっちに来てくれて、恋人の顔見て久しぶりに安心して眠れた。(実は喧嘩もどきになって若干気まずいまま寝たのはとりあえず置いておく。ちゃんと仲直り?して帰って行った。)それからいつもの調子を取り戻しつつ、今に至る。どうでもいいけど風邪引いて喉が痛い。

 現在の私の住む街は物流が戻りつつあります。ラジオ・モバイルバッテリーやカセットコンロ、牛乳・豆腐・納豆以外は手に入れようと思えば入れられる感じかな。本震が来たらどうしようと思う気持ちには変わりありませんが、少しずつちゃんと眠れるようにもなってきました。

★各種反省

良かったことなど

◯何より備えていて良かったのは、モバイルバッテリーの充電を満タンにしていたこと!安心した!本当に良かった。

地震が起きてすぐにコンビニに行って水と食料を買ったこと。6日の昼にはもうどこのコンビニもスーパーもやってなかった。スーパーも割と早めに行って良かった。

◯すぐブレーカーを落とし、水を貯めたこと。結果的に必要なかったけれど。これはTwitterで他の人がしていたからやろうって思えた。あと携帯トイレも家にあったし、水がダメになったときの対応は完璧だったと思う。

足りなかったものなど

◯ラジオがなくて、電波のない家で本当に孤独だった。radikoは災害時意味ない。

◯カセットコンロがあれば食料の幅が広がった。(8日購入済。少しほっとした。)

◯キャッシュレスもいいけれど現金大事。非常用現金。6日夜に街中のATMでお金下ろせたからよかったけど、長期になること考えたら現金必須。

◯当初停電していたので、停電の中でも食べられるようなものしか買わなかったんだけど、復旧後のことも考えてカップ麺とか買えば良かった!って復旧後に思った。全然考えてなかった。

★今後に向けた備え

水(2本)、カロリーメイト(2箱)、柿ピー1袋、満タンのモバイルバッテリー、Macbook、レトルトごはん(3食分くらい)、非常用携帯トイレ、ホッカイロ等をリュックに入れました。カップ麺も買ってこよう。

上記のとおりカセットコンロとガスボンベもスーパーで購入。多分これだわ。

あと、ネットで首からかけられるLEDライト買いました。常に懐中電灯持ってふらふらするのだるかったので、ライジングサン用も兼ねて。ありがとう楽天スーパーセール。

落ち着いたら防災用ラジオがほしいです。ネットは軒並み売り切れでかなしい。あとは冬に向けて、ガスボンベで使えるカセットストーブを検討中。どうだろう。必要かな?他にこれあるといいよ!とかあれば教えてください。

★感想

◯停電というか電波入らないのは現代人には辛い。

◯どこかの地震のときに、数日してコンビニに食べ物が並んだんだけど有料とはどういうことか…みたいなニュースがあって、その時にTwitterのフォロワーさんが、「商品を選んで買うことのできる喜び」の話をしていたのがとても印象に残っていたのだけれど、意味がよくわかった。いくつもある商品の中からその日食べたいものをお金で買って選べることって素晴らしい。

◯非日常がこんなにストレスだと思わなかった。地震から1日経った朝、古いiPhone(SIM読み込まないウォークマン要員、バッテリーぶっ壊れてる)が奇跡的に起動して、他に用途もないので音楽を聞いたんだけど、すごく落ちついた。

Twitterは有能だった。ありとあらゆる情報が入ってきた。私はテレビもラジオもないのですごく頼りになった。たまにデマもあるけれど、自分で判断すれば良いだけだった。本州のフォロワーさんが自分の被災経験をもとに色んなリプライくれたのもありがたかった。大丈夫ですか?って心配してくれる人も暖かかった。道内の他の人が何をしてるのかもすごく参考になった。みんなそれぞれの復旧後やりたいことリストも参考になった。

◯道外の人は自粛とか別にしなくていいししないでほしい。自分が被災したら色々わかるだろうし、この状況を見て、防災だけしてくれたらいいなって思う。あと、自粛していたとしても、私たちそれどころじゃないから全然見てない。

◯冷蔵庫は開けちゃダメってやつ全然知らなかった。おかげさまで、電気復旧に27時間ほどかかりましたが、冷蔵庫はアレだったものの、冷凍庫は早めに食べれば大丈夫だろうレベルだった。

◯私は単身だったからどうにでもなったけれど、友達は生まれたばかりの子供を抱えたまま給水でマンションの上から下まで行ったり来たり…って子がちらほらいて、子供が生まれたらそういうことも考えなければいけないと思った。

◯自分も被災して大変な中、商品を売ってくれるお店の人、本当にありがたいと思った。6日は商品買ったお店3つ全てでお礼言った。そしてインフラ関係、市町村役所・役場で勤務して夜も寝ずに対応に当たってくれる職員の方、本当にすごい。感謝しかない。

 二日経ってようやく色々なことを考える余裕が出てきました。あっという間の土日で、明日からまた仕事だ。どんな時でもやっぱり仕事は休みがいいと思ってしまった私は本当に労働意欲が低いなあ。それではまた。